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愛のパイオニア

 2005-11-18(金)
別に音響メーカーの話では、ない。

いつの時代にもどこの世界にも開拓者というかパイオニアはいるわけで、得てして野に埋もれ、評価されていない場合などがある。
山師で胡散臭いコロンブスも歴史に名を残しているが、嫉みと妬みで負の評価もある。

それでもアメリカ大陸を発見した彼の功績は讃えられることで、妬みや嫉みを持つ人々に対してコロンブスの卵という言葉さえ生まれた。


卵ご飯には出来ないけど









皮肉ってる言葉なんだよね。
妬みや嫉みを持つ人々に対して。

前置きはこれくらいにして、本題に入ろう。
(以下、続く)

地元の今朝の朝刊にデカデカと渋くて抜け目のない顔が載っていた。
還暦をとうに過ぎ、古稀を目前にした老写真家の顔だ。
報道写真家だ。

そしてパイオニアでもある。
1960(昭和35)年から水俣病患者らを撮り続けてきた東京在住の報道写真家桑原史成さん(69)が、水俣病の公式確認から50年を迎える来年の4~5月、東京・銀座と大阪市の「ニコンサロン」で、44年ぶりに「水俣」をテーマにした写真展を開く。
(熊本日々新聞11月18日朝刊より)
本文はwebで読めます。web版を読むには無料の会員登録が必要ですがメアドさえあればOKです。捨てアドで構いません。ってなことを書くと叱られるかもしれないが、web上の危機管理は自己責任が前提なのだ。無用な個人情報の流出は自分で防ぐしかない。
例え新聞社のwebサイトであっても、絶対安全ではないのだ。

なお、生年月日等入力しなければいけませんが、適当で問題ないです。メールマガジンを購読させようとするためです。そういうチェックは全部からっぽにする。

読者登録のページはここ
読者登録したら水俣病特集ページにいって、今日の日付の上記記事をクリックすると全文閲覧できます。
水俣病特集ページ「水俣病百科」のページはここ

以前は、他の水俣病記事も閲覧できたんだけど、いまは有料みたい。
アホか!と言いたくなるね。
水俣病の記事を有料にしてどうするんだ、と。

マ。地元新聞社としては、ずっと取材してきて記事実績もあるので、一種の独占利権と化しているのでしょう。既得権益は金になるので、そうそう手放すものではないしな。

いやらしい話だ。
日本人だろうが外国人だろうが、インターネットを利用してこの手の記事は閲覧できるようにするのが自称表現の自由の具現者である新聞社の務めだろうに・・・

閑話休題。
朝刊にはデカデカと写真が載っていたのですが、web版にはありません。他は同じです。

さて、桑原氏。
パイオニアと書いたが、何のパイオニアか?


水俣病を全国に知らしめたのは、この人の写真なのだよ


当時、若き桑原氏は駆け出しのカメラマンとして単身水俣に乗り込んだ。誰も行かなかったんだよ。報道の人は。
嫌がってね。
既に水俣病差別は、その頃からあったのだ。

熊本の辺鄙な漁村で、なんか奇っ怪な病気が蔓延しているらしい。どうも公害らしい。と推測の世界の頃。

かつ、水俣病原因企業であるチッソ(ちなみに雅子妃のおじいさんは、この会社の重役だったはず。それで最初はお后候補から除外された)は前年の1959年に被害者と見舞金契約を結んでいる。被害が拡大していたにもかかわらずだ。

そういう状況で「水俣病は終結している」とまことしやかに囁かれていた頃。

ほんとかよ?

と思ったかどうかは知らないが、若き桑原氏は、その悲惨なる海と暮らす民のもとに向かった。カメラとともに。

そして、目の前にある事実をカメラに収めた。
患者が収容されている病院にも行った。
いまでは有料記事となっているが、以前は無料で閲覧できた記事の中で、この頃の証言をしている患者のものがあった。

当時は水俣病は得体が知れなく、伝染病みたいに移ると思われていた時代。有名新聞社の記者やカメラマンもびびって病院までは取材に来なかったそうだ。

ところが若き桑原氏は、そんなこと関係なく無邪気に病院に来ていたそうだ。
その透明な感覚。無差別感というか、若気の至りというか、そういう覚悟を決めた姿勢に患者との信頼関係が築かれていったみたい。
なことが書いてあった記憶がある。

「あの人だけ、分け隔て無く来てくれた」

凄いというかなんというか、パワーを感じる。
若き桑原氏に。

東京に戻って個展を開く。
その衝撃は凄かったらしい。生まれてないのでわかんないけどね。
九州の片隅のことで東京の人からみれば、わけわかんない事件だったろうし。

それでも、あの水俣病患者の悲惨な姿を見たらショック受けるよ。
それから40年以上水俣と関わり続けることになる。

桑原氏は、この水俣の写真で報道写真家としての地位と名声を得る。
それはおいといても、嫌がって誰もいかなかった場所へ単身乗り込んでいくバイタリティは凄い。
どういう病気かわからない時代に命をかけて行ったのであろう。

若いということは素晴らしい。
愚かなことでも美しいからだ。

その後、桑原氏はベトナムにも行く。崩壊前後のソ連にも行く。

ベトナム戦争というと、有名なのはピュリッツァー賞を受賞した沢田教一や開高健とともにベトコンに襲撃され九死に一生を得た閣下こと秋本啓一などであるが、浅野忠信が主演した映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』の主人公一ノ瀬泰三も有名である。

地雷を踏んだらサヨウナラ

桑原氏、ベトナムでこの一ノ瀬泰三と交流があったらしい。
息子に聞いた。

「オヤジに聞いてみたんですよ、一ノ瀬泰三のこと。ベトナムで会わなかったかって。そしたら言ってましたよ。知ってる知ってる。生意気なガキだったって言ってました」

これを聞いて安心した記憶がある。
そうだろうそうだろう。武士道とは死ぬことと見つけたりの葉隠で有名な佐賀県出身の一ノ瀬泰三なのである。
戦場に行くくらいだから、クソ生意気だったろう。

修羅場に乗り込んでいくような男は、そうでなくてはならない。

もしかしたら、水俣に乗り込んだ当時の桑原氏も古参のカメラマンらに、同じように思われていたのかも知れない。

私の小学生中学生の頃は、既に日本三大公害病として「水俣病」「四日市ぜんそく」「イタイイタイ病」が教科書に載っていたので、授業でも地元ということもあり、けっこうな時間をさいていたように記憶する。
(現在は、これに第二水俣病(新潟水俣病)を加えて四大公害病

が、地元は県庁所在地であるが、水俣は遠い。
もうね、距離感からいえば鹿児島県の一部だな。方言も違うし。鹿児島弁に近い。
だから、感覚としては水俣病も遠いとこのお話ってな感じなのが実際のところである。

但し、地元新聞にはよく載る。ハンセン氏病と水俣病だけで稼いでいるのではないかと思うくらい載る。
特に、最近はキャンペーン記事が多々あるので新聞読むと水俣病である。

今日引用した記事も、その水俣病キャンペーンの記事として特集されていたものだ。

水俣病自体がこの記事の本質ではない。
パイオニアだ。パイオニアについてなのだ。

桑原氏は水俣病報道写真家のパイオニアなのである。
有名なのである。

そして、それは好奇心と志と溢れる情熱と迸る感情が混在した塊がもたらしたもので、功名心もあったろう、水俣病をみて怒りもあったろう、正義感もあったろう、それらがまとまらない感情として存在しファインダーをのぞきシャッターを押したのであろうと思えるのだ。

存命されているが生涯係わっているのである。
そして、それを妬み嫉む人々もいるであろう。

そういう時は、静かに卵を置いてあげよう。


命がけの結晶









■関連情報
水俣病・環境問題に関するホームページ
(熊本日々新聞の水俣病特集サイト。ほぼリンク集)
水俣市役所のリンク集
(水俣市は現在でも人口約3万人しかいないのよね)
国立水俣病創業研究センターの検索ページ
(ここで検索キーワード「桑原史成」で検索してみる。膨大な資料がヒットするから。それだけ水俣病に係わっているということ。患者の書簡集が最初にヒットすると思う。桑原史成氏宛のやつ。泣けるよ、もう)
戦場を駆けぬけたカメラマン達
(ベトナム戦争サイトよりコンバット・フォトグラファーのページ。沢田教一、石川文洋、秋本啓一、一ノ瀬泰三らベトナムで活躍したカメラマン達の解説及び作品が見れるサイト。外国人カメラマンの情報も)
水俣病
(web百科事典Wikipediaの項目)
四日市ぜんそく
(web百科事典Wikipediaの項目)
イタイイタイ病
(web百科事典Wikipediaの項目)
第二水俣病(新潟水俣病)
(web百科事典Wikipediaの項目)


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