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愛の大殿、死す

 2005-10-04(火)

肥後熊本細川藩第17当主細川護貞氏が死去した。
享年93歳。
天命を全うしたといっていい。

 細川護貞氏が死去=元首相の父、細川家17代当主
 (Yahooニュースより)

時が時なら、おれの主筋で大殿様になる。
殿様は、長男の細川護煕氏だ。18代当主になる。
この護煕を「もりひろ」ってちゃんと読めるのは以前は地元人だけだったけど、新党ブームで「日本新党」をひっさげて国政に参加し、自民党政権をぶっ壊して連立政権樹立した時に内閣総理大臣になったので、マ、今では地元人以外でも読めたりする。

細川護煕氏が内閣総理大臣になった時は、恒例の提灯行列が我が故郷でもあったそうだが、その時は、たしか恵比寿に住んでいた頃だ。
ニュースでみたような気がする。
おらがくにの殿様が日本一の殿様になるというので、なにやら胡散臭さを持ちつつの提灯行列だったような気がする。

大殿の話だ。
この人はリンク先の経歴を読んで貰えればわかるが、戦前は政界にいて、戦後は文化界に身を置いた。
評価は色々あるが、戦後の文化界における功績は誰もが認めるとこであろう。
問題は戦前戦中だけど、これ書くと長くなっちゃうので割愛する。
ただし、この戦中の出来事を書いた『細川日記』は有名である。

とにかく、殿様だから。
肥後五十四万石の。
開祖は戦国大名の細川幽斎だよ。
その息子の嫁が細川ガラシャ。明智光秀の娘。
けっこうきらびやかな大名だよなぁ、こう書くと。

うちは士族は士族でも末端の末端だからなぁ。
ほんとに士族だたのかよぉと思っていたが、ばあさんの入院先の同室にいたおじさんが、実が同じ先祖を持つ人らしく、ばあさんの名前を見て、病室にきていたオヤジに「おれはおまえを知っている」と言ったそうだ。

なんだよ、いきなりのその挨拶ヽ(;´Д`)ノ
どうやら、そのおじさんは元県庁マンで公務員時代から家の家系を色々と調べていたらしい。定年後はライフワークにして古文書等を精査し、学術的な調査もやっていたらしい。
オヤジも元県庁マンだったので、そのおじさんは、遠い親戚でこういう苗字のやつが県庁にいると、オヤジが現役時代から知っていたそうだ。オヤジよりずっと上の世代なので現役当時は交流がなかったどうだ。
但し、おれの祖父とは交流があったそうだ。

それで「おまえんとこも士族だ」と色々説明してもらったらしい。
別にどうでもいいことなんだけど。

司馬遼太郎の世界より、藤沢周平の世界の士族である。
うちの場合は。
なんてったって、維新前夜、ムラウチ(村内=村の内=村の中)で士族は2軒しかなく、そのうちの一軒が実家だったそうだ。近所の小僧に読み書きを教えていたらしい。
寺子屋かよぉ。貧乏臭ぇぇぇ。

そういえば曾祖母は名前を「貴子(きこ)」というが、近所に漢字の名前の人はほとんどいないので、「さん」付けで呼ばれていたと聞いたことがある。
普通は「しゃん」なんだけね(笑)
「はなこ」だったら「はなこしゃん」という具合に。

デ。
そんな昔の事はどうでもいいのだが、いちお大殿が亡くなられたというので、ここに哀悼の意を表するのである。
ずっと昔の家来の末裔として。

つうか、もともと加藤清正の家来だったはずだけどなぁ・・・



細川日記 上 改版 中公文庫 B 1-35 BIBLIO20世紀



細川日記 下 改版 中公文庫 B 1-36 BIBLIO20世紀




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