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愛のベジタリアン

 2005-09-01(木)

これ二回目を書いている。
ちょっとマウス操作に失敗して、長文が消えてしまった。
とても悲しい・・・

ベジタリアンという言葉は胡散臭い。
怪しげな香りがプンプンする。
肉を食わないそうだ。
それは、それで、いい。
人には嗜好というのがあるもので、人はそれぞれである。

が、このベジタリアンが講釈を垂れ出すと、とたんに、その吐かれる言葉は異臭を放つ。
どうも胡散臭い。いや臭い。
偽善と欺瞞という香りがプンプンである。
特に欧米人。

君が死ぬ。
大地に横たわる。

アリもくるだろう。ハエもくるだろう。
アリは、その小さな口で必死に腐敗のすすんだお肉を啄み(ついばみ)、ご馳走だご馳走だと小分けしたお肉を巣へ持ち帰るだろう。巣の中では、女王アリに献上したり、幼虫に食べさせたり、貯蔵したりと必死で動き回るだろう。
ハエは卵を君だった肉に生み、孵卵したウジ虫はびっしりと君だったお肉を覆い、ほどよく腐敗したお肉を食べてまるまると太り、すぐにハエになるだろう。

ネズミもくるだろう。鳥もくるだろう。
ピアニストのような指を持つネズミは、せっかちだけれども堂々とお肉を貪り食らうだろう。
鳥は、その鋭い嘴で何度も頭を振りながら、たまに辺りを見回し、また思い出したようにお肉を啄むだろう。

バクテリアや微生物は、見えないところでやみくもに活動し、温かく張りがあり強靱だった肉を徐々に腐敗させていくだろう。

ネズミや鳥は、まるまると太ったウジ虫も食らうだろう。お肉を食べて動けないくらい太ったウジ虫をである。

彼らは満腹になるだろう。
立派に成長するだろう。
そして、天敵に襲われ食われ一生を終えるだろう。
運良く生き残ったものは、愛し合い子孫を残すだろう。

虫、鳥、微生物。それらに君のお肉はきれいさっぱり食べ尽くされるだろう。
無駄なく一切合切。
君だった肉は消え去るだろう。しかし、質量保存の法則からいうと、消えたわけではない。
再分配されたのだ。虫や鳥や微生物に転化したのだ。

骨だけになった君は、その姿で大地に横たわっているだろう。
そして風に吹かれ、君だった姿はちりじりになるだろう。
やがて骨も分解され土に還るだろう。
土は滋養豊かな土となり、緑を育てるだろう。

緑は光合成で酸素を生み、虫や小動物たちに食されるだろう。
虫や小動物たちも、さらに大きな虫や動物たちに食われるだろう。

無駄のない自然のサイクルである。
自然の摂理である。
円は常に回っている。

ベジタリアンは言う。
動物が可哀想ではないか、と。
クジラは友達だ。牛は悪くない。動物が可哀想だ。
はぁ?

そういうおまえらは死んでしまえ。
火葬されるな。土葬もされるな。
土の上で死ね。
そうすれば、自然がどういうものかわかる。
アリもくる。ハエもくる。ネズミもくる。鳥もくる。あれもくる。これもくる。

ま、死んだらわかんないだろうけど・・・

クジラを捕るなという。
はぁ?
アフォですか?
絶滅するほど乱獲したのは、いったい誰だ!
幕末に黒船が浦賀にきた。捕鯨調査の目的だろう。捕鯨船の中継基地が欲しくて極東の島国まできたんだろ。
ペリー提督、ごろつきペリーだ。アメリカ人だ。

クジラの油だけとるために殺しまくった欧米人が言うんじゃねぇ。
ニッポンジンは、クジラの肉も油も内蔵も骨も全部いただく。
四国には、クジラの碑があるぞ。
クジラ一頭捕れれば、当分は食いつなげられるから。
感謝慰霊の碑だ。
そういう気持ちを持っているか欧米人!

知っているだろうか?
日本人は欧米人よりも腸が長い。とても長い。
これは米に代表される穀物を長い間食べてきたから。消化に時間がかるため、そういう風に進化した。
欧米人は肉食だ。だから腸も短い。
これが体型の違いにつながる。
昨今の若者の体型の激変は、多分に食生活が原因と思われる。

いただきます。ごちそうさま。だ。
感謝していただきます。有り難くいただきます。だ。
手を合わせて言う。いただきますもごちそうさまも。
感謝慰霊の意味がある。
だから、死んだものに対しても手を合わせる。

殺すだけ殺しといて、クジラは哺乳類だから、殺すな。だと?
我が儘で殺し合いが好きで奇麗事をならべる欧米人よ。
何様だ。

そういうことは、腸を長くしてから言え!

腹が立つのは、そういうバカで見栄っ張りで大嘘付きの欧米人に媚びる日本人がいることだ。
優しい。慈愛がある。などとほざく、バカな日本人がいる。
アメリカなんざ、ネイティブ・アメリカン(昔はインディアン。原住民)を殺しまくって、その血の海にビルを建てただけじゃねぇか!

媚びる日本人も死ね。
土の上で死ね。
長い腸を切って死ね。
だから切腹して死ね。

こう「死ね死ね」と書き続けていると、病んでいるなぁと思われてしまいそうだ。
自分で書いていて笑ってしまう。
いちお、最後4行目の「死ね」でオチをつけているから。。。

肉食欧米人に媚びる日本人が感じる、優しさ とか 慈愛 などは、恐らくキリスト教が根底にあると思われる。
これまた胡散臭いですな。
キリスト教の歴史は殺戮と欺瞞捏造の歴史だもんなぁ。
十字軍なんざ、ありゃおおきなお世話だね。異教徒は殺しまくる犯りまくる。
魔女裁判ってなんだよ!

最近、こんなニュースがあった。

 米国民の4割、進化論を信じず・民間団体調査

 「知的設計」で人間誕生 米で反進化論台頭 「神」と表現せず学校で教育
 
アメリカ、病んでるよ。もともとだけど。
要は進化論以外のことを学校でも教えろ!ってニュース。これにブッシュ大統領も肯定的。

進化論以外のことって、つまり「神様」のことね。人間は神が創造したと教えろってこと。
さすがに「神」って言葉が使えないから「知的設計」者と言い換えて。
あいかわらず胡散臭いアメリカ人。

なんでブッシュも肯定的かというと、別に熱心なクリスチャンってこたぁないわけで、選挙に繋がるから。
もうキリスト教徒ってマジョリティでしょう。
いまでもそうか知らないけど、アメリカ大統領になれるのはWAPS(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)じゃないとダメだつうのは。
これ、打ち破ったのがケネディ大統領ね。でも殺されちゃった。
殺す。これがアメリカンクオリティ。

まぁヨーロッパのコピー国家みたなもんだからなぁ。文化もないし。
何か長文書いてきて面倒くさくなってきた。
キリスト教への罵詈雑言をとめどなく書きそうだもんなぁ。

とにかく、くそ欧米人の胡散臭いベジタリアンは信用ならねぇってこと。
ついでに欧米人、特にアメリカ人も信用ならねぇってこと。
一回だけ戦争に勝ったからって、それも原爆二発も落としやがって、いいきになるなってこと。
911テロの跡地を「グラウンド・ゼロ(爆心地)」って呼ぶのはやめろってこと。
「グラウンド・ゼロ」は世界広しといえども、二カ所しかない。

広島と長崎だ。

うさんくさい欧米人に媚びる日本人は、切腹して下さいってこと。

とは言うものの、中には偉い人もいるわけで、そういう人はいいんではないかと思う今日この頃。
しかし、やはり受けた教育も受け継いだ遺伝子も食い物も違うわけで、この人は違うと思っても、心の中では、こいつらは平気で異民族を殺すやつらだからなぁという気持ちは忘れずに持ちたいのである。

ここまで書いてきて、なんでベジタリアンのことを書き始めたのか思いだしてみた。
そうだ、最近野菜ばっかりしか食べてないのだ。
トマト、ブロッコリー、ゴボウ、青梗菜、人参、大根、生姜、キュウリ、ジャガイモ、大豆などなどなど。果実もね。

雑食性の人間は、やはりバランスよく食事しないといけないみたいですな。
魚でも食べよう。

愛が足りないんだろうなぁ。


次の記事:愛のカトリーナ
前の記事:愛の衆院選
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コメント
コメント、トラックバックありがとうございました。

ご自分でオチをつけてらっしゃるのが面白いですね。

まず、欧米人=クリスチャンと決め付けられない方がいいと思いますよ。しかも、ベジタリアンなのは、キリスト教ではなく、キリスト教を名乗る異端である、セブンスデイ・アドベント教会です。クリスチャンはベジタリアンではありません。

十字軍や魔女裁判は、カトリック教会が勝手にやったことであって、最大の罪です。誰もそれを肯定しているクリスチャンはいません。

明治時代に大日本帝国憲法が成立する以前は、日本でも、進化論と並行して、創造論(即ち、神が全世界を造られたということ)が教えられていました。というのは、進化論が正しいという論拠は、未だに一つも無いからです。

ではなぜ明治に入ってから、進化論しか教えられなくなったのかというと、神は天皇一人でなければ困る国に、日本がなってしまったからです。

しかし、私もブッシュやアメリカは、胡散臭いと思いますよ。あの国は病んでいますし、キリスト教国家とは名ばかり。実際に住んでいたことからも分かりますけど、クリスチャンが人口に占める割合は非常に少ないです。それに、たとえ教会に行っているからといって、本当に信じているかというと、そうでない人が多いのです。

それに、ブッシュさんは、かなりキリスト教を利用している面があると、私も思います。本当に信じているわけではないと思います。

クリスチャンだから、クリスチャンで無いからという風に、十把一絡げで言うことは出来ないと思います。

たとえクリスチャンであっても、罪人には変わりないですし。そういう意味では、ナチスの犯罪だって、ユダヤ人からすれば、ユダヤ人はキリスト教徒に虐殺された、という風に言われます。

けれども、正しいのは神だけであって、クリスチャンだから正しいとか正しくないということは、決してありません。

ですから、私自身が正しいとも思いません。
【2005/11/10 09:07】 | くらら #AQ4vyV86 | [edit]
すいません。私、パスワードを入れなかったんですね。記事の修正が出来ないので、もう一度投稿させていただきます。

セブンスデイ・アドベントではなく、セブンスデイ・アドベンティスト教会でした。

それと、愛のあるなしで言えば、クリスチャンでない人の方が、愛(というより人情?)がある人って、多いかもしれないですよ。

クリスチャン=愛のある人 ではないからです。クリスチャンもクリスチャンで無い人も、まったく同じ人間です。ただ、悔い改めて神の存在を認め、神に従う決心をしているかしていないかの違いがあるだけです。ちょっと余所見をしたら、やはり罪を犯してしまうし、罪が何かを知っている分、他人に厳しくなってしまうところって、あると思うんです。

愛は神にしかありません。
【2005/11/10 09:38】 | くらら #AQ4vyV86 | [edit]
コメントありがとうございました。
風邪で寝込んでましてお返事遅くなりました。

いや~お叱りを受けるかと思いましたが、ご丁寧なコメントを頂いて恐縮しております。

>愛は神にしかありません。

となると、私の「愛が足りないんだろうな」ってのは永遠の課題ということになりますね。
愛を求めて生きるってのも男子の本懐かもしれません。
(皮肉ではないですよ)

真面目に議論すると、それはもう、有史以来議論され続けてきたことなわけですから、いくら時間があっても足りないくらいです。

なので私の好きなショートショートを贈ります。怖い話です。

そう遠くない未来。世界中のコンピュータが繋がって同時に処理できるようになった。
今までとは桁違いの計算能力処理能力で科学者達は喜んだ。
そして有史以来の問いを接続されたコンピュータに入力した。

「神は存在するか?」

画面にコンピュータからの回答が映し出された。

「今こそ神は存在する」



今となっては、世界中のコンピュータを接続するという発想は古いものになってしまいましたが(インターネットで繋がれていますから)、同時に処理するというのは、まだ大丈夫ですね。
十代前半に読んだのですが、短いながらも怖い印象がありました。

まだ薬で頭がぼんやりしているので、これくらいのコメントで申し訳ないです。
【2005/11/14 07:28】 | ごぞんじ #6J9OhUjw | [edit]
くららさんのブログにコメントしようと思ってお邪魔しましたが、コメントの流れを見て、これはいかん!とこちらに書くことにしました。

くららさんのブログにトラックバックした記事は、以降5回くらい同じネタを書いています。ちょうどカトリーナが米本土上陸して無秩序状態になった時期だったので、そのニュースと絡めて書いています。

是非、これらもご一読を。

さて、私が嫌いなのは「偽善」と「欺瞞」です。そして「異端」と差別する権威も嫌いです。

そもそも「異端」という言葉を源にして差別の歴史は始まっています。海外においては。それは皆殺しの歴史です。

おめぇの方が「異端」じゃねぇのかよ!
というような声は抹殺されます。
物理的に殺されます。キリスト教だろうがヒンズー教だろうがイスラム教だろうが同じです。

そして便利な言葉で片付けられます。
「彼らは原理主義者だ」と。

教典なり聖書なりを守っているだけじゃねぇの?って八百萬神の国の私は思うのです。
なぜなら、対岸の火事でしかないからです。
布教という名の洗脳虐殺支配は許されるのでしょうか。

いつまでたっても答えは出ません。

お盆に迎え火送り火をし、元旦に詣で、家を建てるときに地鎮祭をし、秋には五穀豊穣を願う祭に参加する国に生まれ育った私にはとうてい理解できないことかもしれません。

近所にお寺があります。
浄土真宗で住職は喧嘩坊主で剣道五段の猛者です(笑)
子供の頃、剣道を習ってました。そのお寺は遊び場で夏は蝉とりをしていました。

今は息子の代になっていますが、なかなか行動的です。友人が地元新聞社にいるので新聞の地方欄にも載ったりします。

デ。
坊主が政治に首を突っ込むとろくな事にならないのに、イラク派兵反対!で新聞に載りました。
アホだなぁと思いました。
坊主は坊主らしく念仏だけとなえとけばいいのです。役割ってのがあります。

近所の小学生を対象とした日曜学校みたいなのも開いていて、これはこれで私も経験したのでいいことだなぁと。
大晦日には除夜の鐘が500発くらい鳴ります(笑)来た人全員に突かせるからです。

で。いろいろ用意しているわけです。子供達のためにクジ引きとか屋台をこしらえてヤキソバだとかウインナーを売っている。
有料で。

ちょっと待て!と。
10円でも100円でもいいけど、金を取るとはどういうことだと。
おまえらは生産性のない職業なんだ。極論すれば人の施しで生活している。
税制も優遇されてる。お布施は現金なんで税務署もわかりずらい。いやらしい話ですけど。

なのに、1年で最大のイベントである大晦日に金を取るとはどういうつもりだと!
ここは全て無料で日頃の施しのお返しをする場ではないのか、と。

なぜ憤慨したかというと、宗派も名前もわからない教会ですがクリスマスに大判振る舞いしてたんですね。
なんて言うのかわかりませんが、いわゆるお布施で成り立っているから、この日はみんなで楽しもうと。
なんかそんな感じだったと思います。

凄いなと。
この精神は凄いなと。

日本では本当の意味でのボランティアは根付かないかもしれないなと思った瞬間でした。

素直に感動しましたね。
これが慈愛かと。
当時は大学生で貧乏でしたが、有り金置いて使ってくれと渡しましたよ。
パチンコとかしてる場合じゃないなと。

こういう風に使われるなら、いい。と。
底辺に住む人々が温かいスープなどを飲んでいるのを見て、これが世界を席巻した源かと。

のち、いつでもどこでも現場は必死で頑張り上は腐敗するんだなと納得しましたが。あの後継はいい意味でのトラウマですね。

物事の一面しか見ていないんですが、近所のお寺の行動に怒った根底には、この経験があったのです。

てなわけで、支離滅裂な文章になりましたが、すべて風邪薬のせいということにしてもらえると幸甚に存じます(笑)
【2005/11/14 08:23】 | ごぞんじ #6J9OhUjw | [edit]
そうですね。「異端」というのは、キリスト教の場合、そう言って切り捨てる、というのとは違うんです。

聖書というのは、神から与えられた、人間へのメッセージですから、いわゆる一般の宗教とは、意味が違うんです。この話を細かくすると、それこそ本一冊書けてしまうくらいですから、細かい議論は他に任せますが、<a href="http://penguinclub.net/nakao/study/creation.html" target="_blank">中尾牧師のホームへページ 「聖書と進化論」</a>を読んでいただけたら、聖書がどんなものか、少しは参考になると思います(私の考えは、宇佐見さんと、微妙に違うところもあるのですがね)。

とりあえず、「異端」というのは、聖書が伝えていることと、信じていることが違うので、正式なキリスト教とは認めませんというだけで、迫害したり、ましてや皆殺しにするなんていうことはありえません。むしろ、私たちは彼らの救いのために熱心に祈っているし、そうした異端のグループは、マインドコントロールで信徒たちの財産をすべて取り上げたり、家庭崩壊に至らせたりしていますので、何とかそうした信徒たちを救おうという活動をしています。

聖書では、異教徒は皆殺しにていいなどということは、一言も書いていません。もしもそうだったら、私たち日本人は、とっくに皆殺しになっているはずですから、それは分かりますよね。むしろキリスト教徒だからといって彼らを迫害したのは、日本の幕府でした。

ただ、有名な、「あなたの敵を愛し、迫害するもののために祈りなさい」とイエス様が言われていることこそ、私たちがすべきことです。人間の力によって到底出来ることではありませんが、神は生きていらっしゃいますから、私たちがその力により頼むとき、それが実現されるのです。

過去に、十字軍や魔女裁判などがあったのは、人間が勝手に聖書の解釈をして犯した罪です。

ところで、ごぞんじさんが昔読まれたというお話は、興味深いですね。今、人間は自分たちが神になろうとする道を歩んでいると、私も思います。「今こそ神は存在する」、そんな風に言えてしまう時代になったら、この世は終わるでしょう。

真の神は、永遠のはじめから終わりまで、存在されているからです。それでもこの世に不条理や悲しいこと、むごいことが起こり続けているのは、ただ、神様が罰を下されることを、待ってくださっているからだけなのです。

その代わりに、私たちの罪を背負って、神の子キリストを、地上で、また、人類史上最もむごいといわれている十字架刑で処罰されたからです。十字架につけられた神、救い主なんて、何てかっこ悪い、威厳の無い姿なんでしょう。でもそれが、本当の神の愛であり、クリスマスの真のプレゼントの意味です。

それを信じるようにとは言いません。それは、ただ聞いた人が判断することであって、信じる信じないは、聞いた人の自由です。ただ、その人には聞いた責任があるだけです。
【2005/11/14 10:03】 | くらら #AQ4vyV86 | [edit]
このコメントは管理者の承認待ちです
【2011/11/26 19:51】 | # | [edit]












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