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愛の大福

 2005-07-28(木)
夏は和菓子だ。
それも、冷えて美味しい生和菓子に限る。
 
一時期、いちご大福つうのが流行った。
今では、和菓子として定着している。
実は、夏の和菓子は、気温の関係などから、なかなか難しいものがある。
 
大福が好きで、饅頭屋さんとかに買いに行くと「いまは、やってません」と言われることが多々ある。
気温が高いので、もう少し低くなったら作り出しますとのこと。
 
なるほど・・・
 
学生時代に、行きつけのお好み焼き屋があって、そこの大将が「旨いイチゴ大福があるが、知っているか?」と聞かれたことがある。
お店の場所を聞いたけど、知らないとこだった。
大将の実家の近所で、ジジイとババアがやっている、とても小さなお店だった。
そこのイチゴ大福が絶品らしいとのことである。
オーダーメイドである。
受注生産である。
「食いたい!」と即答した。
「女か?」と突っ込まれたが、ニヤリと意味深な笑顔で返した。
 
数日後、「ホラ」と業務用冷蔵庫から出してくれた。
ひんやりとして、微かなイチゴの香りが箱の外からでも感じられた。
「今日中に食べないとダメだよ」と言われた。
生イチゴなので、すぐダメになるらしい。
 
ちと、箱を開けてみた。
卓球の玉ほどの大きさの、淡い白色をしたイチゴ大福が10個並んでいた。
自然と手が伸びて、一個食べた。
酸味のあるイチゴの味と、淡くて薄い餡が口の中に広がり、ひんやりと冷たい外面の餅が残味を舌の上に残す。
そんな味だった。
 
「うめぇ~!」
 
ついつい、あと2個平らげてしまった・・・
結局、そのイチゴ大福は、大将の想像通り、当時お付き合いのあった、長身の女性に上げたんだけど、箱を開けて速攻言われた。
 
「あんた!3個もつまみ食いしたの!?」って(笑)
「いや、10個あるから5個、5個で、俺の分を3個毒味したんだ」と釈明をした思い出がある・・・
 
そういう彼女も学校の先生かぁ・・・
 
閑話休題。
大学生の頃の話なので、もう随分と昔のことである。
当時は、そういう絶品のイチゴ大福を売ってある店なんて、どこにもなかった。
おまけに受注生産なのである。
どうやらイチゴにこだわっていたみたい。
餅とか餡は、ジジイとババアが旨いのをこしらえるけど、イチゴだけは仕入れものだかららしい。
 
とうの昔にジジイとババアは死んで、お店もなくなっているだろうと思っていたら、今でもあった。
 
そして、新製品があった。
 
 ブドウ大福
葡萄大福
 
 
 
 
 
 
 
 
 


これ、凄い絶品!
学生時代のイチゴ大福の感動が蘇った。
よくぞ作ったと!
 
葡萄大福を割ってみた
葡萄大福の断面なり
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


これは頂き物で、普通の大福饅頭と思っていた。
やけに固いなと思って食べてみると、中から爽やかな甘みのおつゆが出てきて口の中に広がった!!!
 
・・・なんじゃこりゃ!
 
ブドウじゃねぇか!
巨大な巨峰がまるのまま1個入っていた。
あの淡い甘みの餡が薄く包んでいて、外側の餅もほんのりとした香りで、あいかわらず絶品。
 
基本的に種なし葡萄みたいだけど、種があるのもあった。
巨峰の身は肉厚でしっかりとした弾力があり、歯ごたえがある。
皮ごと入っているので、皮の渋さと酸味が、甘さの餡とマッチして、口の中で何種類もの味を楽しむことが出来る。
 
なんて旨いんだ!
と感動したよ。
 
わかりやすいように、半分に切ってみたけど、弾力ある巨峰は型くずれすることもなく、おつゆをキラキラと光らせ、その存在感を誇っているようにみえる。
 
これも受注生産なのかなぁ・・・
箱に貼ってあるお店のシールをみて、あのイチゴ大福のお店と知った。
ジジイとババアなのか?
それとも代替わりしたのか?
 
そんなことはどうでもいいや。
久々に和菓子で感動した。
 
こっちに遊びに来ると、絶品イチゴ大福かブドウ大福が食べられるかもしれない。
そんじゅそこらのやつとは、全然違うよ。


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愛の地震 関東編 その3

 2005-07-23(土)
安否確認メールのドキュメント

17:01
 COMMONと死神皇帝に同時に安否確認メールを送る。

17:03
 COMMONより返信

  東京は震度4 かなり長く揺れました びっくりしたあ

17:05
 死神皇帝より返信

  大丈夫でした
  ありがとうございます

  ここは震度5弱だそうです
  義理兄は車で走行中にも関わらず分かったそうです
  足立区は5強だそうです
  余震も来てます

17:09
 死神皇帝より返信第2弾

  毎回電話はダメですね
  メールは何故良いんでしょう?
  違う震源でまた来ないか不安です

17:13
 COMMONより返信第2弾

  新幹線が止まってる

17:33
 COMMONより返信第3弾

  都内5強だって 地下鉄もとまっているらしい
  携帯メールも使えたり、使えなかったり

17:39
 衛生兵0号が安否情報をコメント欄にくれたので、
 携帯メールへサンクスメールを送った。

17:49
 衛生兵0号より返信。
 なんでも0.5号が今日アメリカから帰国したとのことで、
 もう少し遅ければ着陸が遅れたろうとのこと。

地震発生直後から、親戚とかに連絡をとっていたので、Saizeriyan関係者への安否メール発信は17:00台となった。


愛の地震 関東編 その2

 2005-07-23(土)
愛の地震 関東編 のコメント欄にもあるとおり、0号も1号も無事を確認しました。

0号は昼寝を起こされた様子。
1号は研修中だった様子。

余震、気をつけてください。。。

九州は、蒸し暑く、気が狂いそうです・・・


愛の地震 関東編

 2005-07-23(土)
さっき、というか50分くらい前に地震がありましたな。
関東地方。
最大震度が震度5強。
けっこう長く揺れたみたい。

NHKよりもインターネット経由で知った。
すぐさま携帯電話をつかんだが、携帯は役にたたないことを、この間の福岡地震で実感していたので、メールした。
これも、いつ届くか不安だったが、すぐに返信がきた。

電話はダメだったけど、メールは生きてた。
これが収穫。
でも、地方と東京なので、現場のことはわからない。

ちなみにauのCメールもダメだった。
これは電話回線使うからだと思う。

COMMONや死神皇帝は無事との連絡あり。
余震に気をつけてください。。。


愛のリフォーム

 2005-07-19(火)
トイレをリフォームした。
凄いね職人さん。たった1日で作業した。
 
ウォシュレット雪隠
 
 
 
 
 
 
 
 
 


実家のトイレは和式水洗トイレである。
明治生まれの祖母と体に障害を持つ姪っ子小三のために、和式トイレにワンタッチで設置できる洋式便座を載せていた。
座るのが便利なように手すりも付けている。
 
なんちゃって洋式トイレである。
 
でも、もともと和式トイレなので、段差がある。
この段差が姪っ子小三には、越えられない壁として存在していた。
それに強引に和式を洋式にしているので、右手と右足の不自由な姪っ子小三は、用を足した後の処理がとても困難な状況であった。
 
この困難の元凶である段差を無くし、床をフラットにして和式水洗トイレを完全洋式トイレ(ウォシュレットタイプ)に改造したのが今回のリフォームである。
画像のように、フラットな床に洋式トイレが設置された。
なんか広くなった。以前は、奥が一段高くなっていた。
 
さて、トイレの後処理が困難と書いたが、ぶっちゃけ、お尻が拭けないのである。
なので、姪っ子小三は、ひとりでトイレに行けるようになってから、用を足すと決まって「でたよ~」とトイレから呼ぶのが日課になった。
 
「でたよ~」である。
たまに、誰か行くだろうとおのおのが思っていて、結局誰もすぐに行かない時があると、この「でたよ~」が繰り返される。
それでも誰かいくだろうと、家人の誰もが思っていて結局誰も行かない時間が続くと、「でたよ~」が歌に変わる。
おもしろいんだな、これ。
姪っ子小三が、便座に座って呑気に呼んでいる。
あわててトイレに行くと、家人数人とかち合ったりする(笑)
 
それが姪っ子小三のトイレ事情である。
実家の風物詩でもあった。
 
小学校はどうか?
姪っ子小三の1学年上に、やはり障害をもつ生徒がいる。
この子は男子で、姪っ子小三より重い障害である。
完全車椅子である。
この子が入学するときに小学校に身障者用トイレが設置された。
但し、男子トイレのみである。
が、この前例があるため、姪っ子小三が入学する時に女子トイレにも設置された。
ウォシュレットタイプである。
手も不自由な姪っ子小三は、とても楽だと言っていた。
 
姪っ子小三の祖父である父が、トイレは改造しなきゃといけないと言っていて、それは無言の愛でもあるわけで、それが今日実現したのである。
リフォーム工事が終わり、完全洋式トイレに変身したトイレで、姪っ子小三は、笑顔で用を足していた。
 
健常者が考えることには限界がある。
身障者、身内に身障者がいる健常者でないと、些細なことはわからない。
そして、その些細なことというのは、身障者にとって切実な問題なのである。
我々がいともたやすく出来ることが、歯を食いしばってもできないのである。
 
姪っ子小三の右足首は、信じられないくらい硬く冷たい。
姪っ子小三の右手は、ものを軽くつかむことしかできない。
 
それでも、毎日笑顔を絶やさない。
彼女の大好きな夏がきた。
 
 
余談だか、リフォームをしたのは隣に住む大工の棟梁。
息子の若棟梁と二人できた。
実家は、今の棟梁の先代が建てた。
そういう意味では、実家は棟梁の家の3代の手が入っている。
 
小屋と呼んでいる物置小屋(普通の家くらいの大きさある)は、骨組みは建設当時のままで外観だけ改築したけれど、建設時は100年くらい前である。
骨組みの大きな柱に墨字で明治○○年と書いてある。
それを建てたのは、棟梁の先々代がそれより前の棟梁。
棟梁のとこも開業100年以上の大工なのである。
 
時はつながり流れている。
 
暑い。
 
洋式マエストロ少尉











愛のマブチモーター

 2005-07-18(月)
およそ男子たるもの、マブチモーターのお世話になったことがない!とは言わせない。
それくらい、昭和30年代以降に生まれた男子は、マブチモーターに愛着がある。
 
そのマブチモーターの創業者にして、マブチモーターの名誉会長が逝去した。
 
 (ライブドアニュースより)
 
マブチモーター。
模型用の130には、ほんとお世話になった。
分解しては、あの馬蹄型のマグネットを取り出し遊んでいたなぁ。
モーターが動く理屈も、分解して理解したし。
コイルを増強すればパワーも増すはずと、がんばってコイルを巻いてみたが、実はモーターのコイルってのは、とてもシビアに巻いてあるってのも理解したし。
 
かまぼこ板とマブチモーターで、船や車を自作したりもしてた。
動く模型は、必ずマブチモーターと乾電池だった。
モーター別売りもあれば、モーター付きもあった。
 
独特の形状をした130がほとんどだったけど、戦車とかだと丸い140とか使っていた。
戦車の模型は、2個140を設置した姿に見とれたもんだった。
単体で動かすと、マブチモーター独特の乾いた高音を発し、ギアボックスに組み込むと重厚な音に変化していた。
 
最初に「男子たるもの~」と書いたけど、これは「女子たるもの~」でもいいかもしれない。
 
なんたって小型モーターの世界シェア1位の製品なのだ。
模型・玩具用ということは「大人のおもちゃ」にだって使われている(笑)
ローターにバイブ・・・
 
そういう意味では、世界一おんなをいかせた男かもしれないナ。
この創業者(笑)
 
さきほど、マブチモーターのホームページを見に行ったけど130は、当時の130だった。
感動した。
模型屋のパーツ売り場に、安っぽい紙の四角いパッケージに入って売ってあった。
黄色いパッケージだったけど、子供のころはどんなんだったろう?
思い出せないなぁ・・・
 
工作とか知的好奇心とか創作する楽しみや理屈は、「学研の科学」と「模型」で学んだ。
その重要アイテムのひとつであるマブチモーターの創業者が亡くなったのは、自分も歳をとったのだなぁと、改めて思うのである。
 
物置小屋とか探せば、ゴロゴロ出てくるかもしれないなぁ。
 
そうそう。
この創業者、けっこうな変態オヤジでも有名なんだよね(笑)
70歳過ぎて花嫁公募したり。
その面接がSM面接だったり(笑)
 
英雄色を好む。の言葉もあるけど、おもしろいオヤジだ。
 
合掌。


愛の蝉しぐれ

 2005-07-17(日)
「蝉しぐれ」といっても、藤沢周平の代表作『蝉しぐれ』ではない。
でも、この小説はおもしろかったなぁ。
ドラマにもなった。NHKで。再放送もやってDVDにもなっている。
映画化もされるんだよなぁ。
 
気が付いたら、夏真っ盛りで、この間の豪雨が嘘のように天をつく入道雲と澄んだ青空があり、蝉がこれでもか!というくらい鳴いている。
蝉はクマゼミで、シャアシャアと集団で鳴く。
この蝉は西日本にしかいない。
なので、もしかしたら0号とか1号は、この蝉の鳴き声を聞いたことがないかもしれない。
2号は、今年初めて聞くかも知れない。でも群馬にもいると思う。
 
 
このクマゼミは、午前中にしか鳴かない。
今日は朝から五月蠅かったけれど、11時頃にはピタリと止んだ。
真夏の静寂というのは、ある意味不気味でもある。
 
先週は、ずっと豪雨だったので、なんかジメジメした感じである。
家ダニやハウスダストなどが増加したはずと思い、バルサンでもたこうと買ってきていた。
なかなか雨が止まなかったので、そのタイミングを逸していたが、今日やることにした。
 
マエストロ少尉は軽いアトピーだし、姪っ子小三も皮膚が弱い。
蚊以外で痒みを感じたりするのだ。
アレルギーみたいなもんか。
家ダニなどだと思う。
 
布団は天日干し。
部屋に掃除機をかけて、衣類などを移動。
もう、これだけで汗だくである。
上半身はだかで作業したけど、胸や背中から滝のような汗が流れる。
でも、夏にかく汗は、風が吹くと逆に爽快感をおぼえることができる。
そういう意味では、たまにはエアコンをきって、肌で風を感じることもいい。
 
しかし、まあ、動いている最中は「暑い暑い暑い」連呼である。
ほんと暑い。昨日が、今年の最高の真夏日だったし。
バルサンする部屋には、仏壇もあるので、供えている花とかも移動させたり、あっちにいったりこっちにいったりと、もうヘロヘロである。
 
外では、マエストロ少尉が「セミつかまえたぁぁぁ」と雄叫びを上げている。
どうやらクマゼミを捕まえたらしい。
 戦闘準備のマエストロ少尉
クマゼミ 
 
 
 
 
 
 
 
 


この炎天下、ムシキングの帽子をかぶり、手には黄色の虫取り網を持ち、庭を縦横無尽にかけめぐって捕まえたらしい。
ちなみに、この虫取り網は、ザリガニなども捕まえるみたいで、要所要所が歴戦の名残でボロボロである。
 
昨日、マエストロ少尉と散髪にいった。
お互いばっさりと切った。
歩いていったが、帰り道でミミズの大群と遭遇した。
久しぶりに、あんなミミズの大群を見た。
用水路の中にいた。
その用水路は片側は道路に面しているが、もう片方は雑草林に面している。
恐らく、用水路にチロチロ流れている水を感じて、雑草林側からきたと思われる。そのまま用水路に落ちて、はい上がれなくなったんだろう。
用水路の深さは1メートルくらいあるので、ミミズでは、無理。
 
用水路は、何百メートルも続くが、ず~っとミミズがいたのよ。
圧巻であった。
よく考えると、これだけのミミズがいるということは、あの雑草林の土は栄養豊かな土なのだなぁということがわかる。
枯れた土にはミミズなどいない。
ミミズがこれだけ養えるほどの栄養がある土なのだ。
黒々とした腐葉土である。
偉大な自然の力を感じた。
 
ミミズの大群を見るだけでも、これだけのことがわかる。
「気持ち悪い」などと言ってはいけないのだ。
 
閑話休題。
バルサンのために部屋を密閉した。
新聞紙で隙間を塞いだのである。
今回使用したバルサンは、6~8畳用のやつだったので、仏壇がある間だけ。
 
バルサンをたいた。
煙が出るまでじっと見ていた。
おおう!ラ━━━━━━ヽ(´∀`ヽ)━━━━━━ン !!!!!
白煙を確認し、襖を閉め密閉。
屋外に退避。
 
まだクマゼミは鳴いている。
蝶々も数種類とんでいる。
せっかくなので、パラソルとチェアーを出して、庭で涼むことにした。
 パラソルの下で納涼
 
 
 
 
 
 
 
 
 


パラソルはUVカット仕様なので、銀色である。
本当は梅の木の木陰で涼みたかったけど、家人にとられたので。
画像は青いTシャツを着ているが、ずっと上半身裸だった。
時折吹く風が気持ちいいかである。
 
ぼけぇ~としていた。
それでも、とても暑かったので、このまま溶けてしまうんじゃないかと思った。
脳みそが。
 
前段にも書いたが、11時頃になるとクマゼミが鳴くのをやめた。
夏に似つかわしくない、静寂の時到来である。
それでも車の通る音や鳥の鳴き声、風になびく木々の音はするので無音ということはない。
でもセミが鳴かないというのは違和感ある。
 
そろそろ昼かぁ。。。
と思って思い出した。
昼飯を食べる場所がないのである。
バルサンしている隣の間なので、とても食事できる状態ではない。
匂いも凄いし、白煙も隙間から漏れているし。
 
しょうがないので、真冬にBBQした車庫で食べることにした。
野外で食事なので、これは冷やしものだなと、稲庭ではいけれど、手打ちのうまいうどんがあったので、冷やしうどんを作ることにした。
ざるうどんみたいにするのではなく、そうめんみたいに、ボウルに水と氷を入れ、その中に茹でて水洗いしたうどんを入れる方式。
 
薬味は小ネギと柚ごしょうである。
ざるそばだとワサビ。そうめんだと生姜が定番であるが、ここは柚の爽やかな香りとこしょうのつんとくる辛みが欲しいので、柚ごしょうにした。
ついでに大根おろしも。
けっこう辛みのある大根を使用したので、大人の味な大根おろしである。
これをめんつゆに入れる。
大根おろしのシャリシャリ感と鼻を突く辛みが絶妙である。
 
夏は、こういう味がいい。
 
車庫には窓があるが、換気の意味も含めて小さな扇風機を置いた。
このおかげで、爽やかな風を得ることができた。
いくら冷やしうどんを食べるといっても、野外での食事である。
汗はかく。
しかし、その汗は爽やかな汗である。
汗が風を受けると、ひんやりとした感覚を覚える。
辛みの効いたつゆでうどんを食べる。
最高の食事である。
 車庫で昼ごはん
 
 
 
 
 
 
 
 
 


これは、食事後の後かたづけ中。
右から、母、姉、姪っ子中三である。
左には小さな扇風機。
テーブル代わりにしているのは、縁側で使用している台である。
2台のうち1台をテーブル代わりに使用した。
ここで8人で食事したわけさ。
 
バルサンは4時間くらいしていた。
終了後、掃除機をかけ、衣類等を戻し、部屋を元通りにした。
また汗だくである。
 
気が付くと、遠雷がしていた。
夕立がきそうな気配である。
 
夏、本番なのである。


 

愛のスペース・シャトル

 2005-07-14(木)
ディスカバリー打ち上げ延期。
せっかく早起きしたのに、このニュース。

NHKに毛利さん出てた。
いつもニコニコしてる毛利さん。
あんた悩みはないのかぁ・・・・


愛のプロレスラー

 2005-07-11(月)
橋本、死んじゃったね。
享年40歳。
まだまだこれからだったのに・・・
 
 (ライブドアニュースより)
 
地元では、ずっとパチンコ屋のキャラクターとしてCMに出てたんだよね。
だから、橋本選手の入場曲(爆勝宣言)を聞くと、パチンコ屋を連想してしまう。
まだ、CMの契約残っていたんではなかろうか?
 
長州小力は、「はしもと~はしもと~、おまえ、橋本かぁ?」と長州力の口まねでネタやっていたけど、これからもやるのだろうか?
 
新日で闘魂三銃士として売り出していた往時が懐かしく思い出される。
世代的には、それより少し前の選手のファンなんだけど。
 
合掌。
 
橋本真也














愛の大雨洪水警報 その2

 2005-07-10(日)
今朝もNHKでは大雨情報の特別仕様画面。
 
大雨情報1
大雨情報2 過去最大級らしい
 
 
 
 
 
 

 
けっこう酷い状況みたいである。
土砂崩れ多数。
河川氾濫。
などのテロップが流れている。
ある地域では、過去最大級の被害の恐れがあるらしい。
 
こういう時に不謹慎であるかも知れないが、実家のある場所は高台なので大丈夫である。
何度も書いているけど、近所に小川がある。
この小川が氾濫しても実家まで被害がくることもなく、今では公園になっている遊水池に水が溜まるだけである。
小川から実家までは高低差がかなりある。
 
昭和20年代に悲惨な大洪水が地元であった。
何百人、何千人の死者が出ている。
当時を知る人が学生時代のバイト先にいて、けっこう話してくれたりした。
もう、土左衛門だらけだったそうである。
溺死の死体がほとんどだったので、悲惨な現場だったそうだ。
しかし、その大水害の数年前まで戦争していたので、死体は見慣れていたそうで、空襲で焼け死んだ死体も悲惨だけど、水害で溺死した死体も悲惨だと、淡々と語っていた。
 
死というものが、身近だった時代の話である。
肝力という点では、現代に生きる我々とは雲底の差である。
 
その水害時に、このあたり(実家周辺)はどうだったか、昔祖母に聞いたことがある。
祖母は、知り合いの畑に手伝いに行っていたが、雨が尋常ではなく、ただごとではないと思ったと話していた。
膝近くまで水かさがあったそうだ。
考えられない水かさである。このあたりでは。
それでも実家は高台なので、被害なんてものはなく、一級河川がど真ん中を流れる市街地で被害甚大だった。
 
昭和20年代。
まだ木造の橋がたくさんで、濁流には上流から流された木材や土左衛門がいっぱいで天然のダムと化し、市街地は浸水。
ってな感じだったと思う。
 
自然は怖いのだ。
なんと、まぁ、人の力の弱いことよ。


愛の大雨洪水警報

 2005-07-09(土)
梅雨らしいと言えばそうなるが、雨、雨、雨、雨である。
それも、気合いの入った雨である。
NHKでは、朝から大雨洪水情報の特別画面仕様である。
こう、逆L字型の大雨洪水情報の枠があり、その中に本来の放送枠がある、あの仕様。

気合いの入った雨は、ドカンと降ったと思うと、ピタっとやみ、またしばらくするとドカンと降る。この繰り返し。ひたすら繰り返し。
話し声が聞き取れないほどの勢いで叩きつける雨があるかと思うと、遠くで鳴く蝉の音が聞こえる静寂もあり、なんとまぁ、メリハリのある雨なんだと、そう思った。

夕方には大雨洪水警報は解除された。
けれども、相変わらず雨は、降っては止みを繰り返している。
梅雨といってしまえばそうなんだけど。

雨は雨雲が降らす。
そして、雨雲はもの凄い勢いで移動している。
だからだろうか。
恐怖心というものはない。
台風の時も、準備万端で迎えるときは、恐怖心はない。
やがて過ぎ去っていくから。

雨がやんだ瞬間、やっとタバコが吸えると思って、縁側に出て吸った。
風が強く、ターボライターでないと火がつかない。
庭に咲く名も知らぬ花たちをみると、気丈に咲いていて、葉から流れる水滴で、ああ、さっき大雨だったんだと思い出させる深閑ぶりである。

地面を見るともなしに見ると、なにやら動きがある。
虫である。蟻なのかなんなのかわからないが、虫が地面で動いている。
へぇ~と思う。
虫が動いているのなら、すぐには雨は降らないだろうと、意味もなく思う。

ガイア説とは、マ、地球全体をひとつの生命体とみる考え方であるけれど、こうやって雨や花や緑や虫の連動を見ると、そう思えてくるから不思議だ。

今ここで、俺が突然死して地面に倒れたとする。
葬式もなにもなく、そのまま放置されたとする。
やがて死骸は腐敗する。バクテリアが分解してくれて土に還る。
土は栄養豊かになり緑を育てる。
腐敗途中で虫たちの栄養になるかもしれない。
その虫たちをさらに大きい虫たちが食べ、その大きい虫を鳥たちが食べるだろう。
花が咲けば、蝶や蜂が舞い、花粉を付けて受精しまくるだろう。
季節が過ぎれば、緑豊かな木々の葉は落ち土に還るだろう。
腐葉土となり、バクテリアや小さい虫たちのパラダイスになるだろう。
そう考えると、無駄なものってのはないわけで、自然の観点から見ると、人の死すら有意義なのである。

マ、砂漠だと違うだろうけど。

タバコ1本吸う間に、そんなことを思った妄想大王であった・・・


愛の愛と憎しみの連鎖

 2005-07-08(金)
イギリス。
ロンドン。
オリンピック。
そして、テロ。

こちらにも正義があり、あちらにも正義がある。
こちらにも神がおり、あちらにも神がいる。
こちらにも愛があり、あちらにも愛がある。
こちらにも憎しみがあり、あちらにも憎しみがある。

西暦2005年。
世界はちっとも平和ではない。
今も昔も、そう。

そしてルシファーは堕天使となり、サタンとなる。
どちらがルシファーだろう・・・


愛の七夕

 2005-07-07(木)
今日は、牽牛が織姫と会うことを許される、1年でたった1日の日。
七夕である。

空はどんよりと曇っている。
遠雷も聞こえる。

会えねぇじゃねぇかよ!

知っているだろうか?
もともと七夕は旧暦で祝われていたものであると・・・

そう、旧暦でいうと今年は8月11日である。
その日は、晴れろ!

もう数千年も1年に1回しか会えないんだから。
でも、会えるだけ、ましなのである。

そんな七夕の夜。


愛の梅雨らしい雨

 2005-07-05(火)
ドッカンと、がっつりと、ドバーッと、これでもか!と雨が降った。
大雨洪水警報まで発令された。
 
空梅雨から一転、空は鈍く曇り、怒濤の雨は天から降る数億の矢の如しであった。
そして雷付き・・・
 
空梅雨空梅雨と書いていたら、まとまって雨降ってくれた。
適宜に降ってくれないと困るんだけど。
さすがにカエル達もゲロゲロ~どころではなく、恐らく必死で流されないようにしていたはずである。
災難だよなぁ。集中豪雨は。
 
夜中に、雨が小降りになったのでDVDを返しに行った。
小学校の近くを通った。田んぼがまだあるところ。
もの凄い勢いで田んぼから水が流れていた。
稲大丈夫かよ。田植えしたのかわかんないんだけど・・・
まだ土作りの段階なのかなぁ・・・
凄い勢いだったよ。
 
いたるところ水たまりで。カエルの声が弱々しげで笑ったけど。
もっと勢いよく鳴けよ、と。
 
海猿』の連ドラ版が始まったけど、野球延長だったんで、時間延長のテロップ入りでむかついていた。そんなのはわかってんだよって。
ついでに、オンエア中に地元に大雨洪水警報が発令されたみたいで、緊急テロップが入った。大雨洪水警報の。
マ、緊急情報なんで我慢するが、いい場面だったのになぁ・・・
 
そうそう。
もう7月なんだよね。
はやいです。
とても、早いです。
 
ため息の出る季節になった。


愛の独立記念日

 2005-07-04(月)
本日7月4日は独立記念日だった。
アメリカの。
どうでもいいことなんだけど。

インディペンデンス・デイ。

同じ名前で、しょーもないB級SFアクション映画があったなぁ。
ウィル・スミスの出世作かな。
どうでもいいことなんだけど。

ええと、昔の暦でいうと、今年は紀元2665年になる。
紀元ってのは、敗戦するまで日本で使用していた和暦のことね。
西暦より660年古い。

昭和15年というから、もう随分と大昔のことであるが、この年が紀元2600年にあたる。西暦1940年ね。太平洋戦争の1年前。
この時は、随分と日本各地でイベントがあったみたいで、実家の近くにも、紀元2600年記念の石碑がある。
今もある。

建国記念日は2月11日だけど、敗戦までは「紀元節」と言っていた。
まぁ、意味は同じですね。
戦争に負けてなくなったけど、昭和41年に復活した。
20年以上もなかったんだ。
紀元節じゃまずいんで、建国記念日。
歴史のある国なんですよ、日本は。
西暦より長い暦を持っているんだもん。
使ってないけど・・・

なんで使ってないのか?
戦争に負けたからです。
やっぱ、勝負事は勝たないとダメですね。どんな勝負事でも。
勝てば官軍、負ければ賊軍ですから・・・

デ。
日本にも独立記念日は、ある。
ご存じですか?
あるんですよ。独立記念日が。
建国記念日とは違いますよ。独立記念日です。

マ。
これも戦争に負けたからあるんですけど。
昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して敗戦した。
大日本帝国陸海軍が無条件降伏したわけです。
日本国じゃないですよ、帝国軍(こう書くと、スターウォーズみたいだ)が無条件降伏したんですよ。

そして日本は連合国軍の占領下におかれた。
進駐軍じゃないですよ、占領軍ですよ。
その最高司令官が有名な「マッカーサー元帥」。コーンパイプをくわえて厚木飛行場に登場した写真は、教科書とかで知っていると思います。

それから7年間日本は占領されたままだった。
昭和26年9月8日にサンフランシスコ講和条約を調印して、翌年の昭和27年4月28日同条約発効。
すなわち、昭和27年4月28日をもって、日本は占領下から独立を果たした。
敗戦からやっと独立したんですね。

だから、日本の独立記念日は4月28日ということになります。
この日、祝日になりませんかね。
祝日にしようよ。アメリカの独立記念日みたいに。

だって、そうすると、4月28日独立記念日で祝日、翌29日がみどりの日(昭和天皇誕生日)で祝日・・・・

そう、ゴールデンウィークが、もっと充実するのである!


愛のトロフィー

 2005-07-03(日)
今日、義兄が高速バスで博多に行ったので、バス停まで送迎をした。
高速バスの個人的なお話はあるのだけれど、今回の話題と関係ないし、とても書けるような内容ではないので割愛する。

デ。夕方に迎えに行った時のお話。
義兄をひろって帰途についたわけであるが、途中の道に、なぜか、とても大きいトロフィーが置いてあった。

恐らく、優勝トロフィーと思われる。
高さ1メートル以上ある立派なトロフィーだった。

誰が、何故、あの場所に置いていたのかわからない。
道路の左端にポツンと置いてあった。洗いざらしではなく、ついさっき置いたものと思われる。

あれは、なんだったんだろう?


愛の携帯電話

 2005-07-01(金)
au携帯のG'z Oneが復活する!
なんのこっちゃと思われるかもしれないが、とてもうれしいニュースである。
 
 
G'z Oneとは、カシオ製の携帯電話のことである。
通称、G-SHOCK携帯。
見た目と機能がG=SHOCKに似ていることからこう呼ばれる。
 
司令部時代に使用していたオイラの携帯電話である。
各員見覚えがあると思われる。
厳つくて無骨でデカイ携帯電話であった。
いつか、この日がくると思っていた。五代目発売後、カメラ付き携帯や折りたたみ式が主流となり、表舞台から姿を消していたが、4年振りに、満を持して復活である。
 
いつか復活すると思って、カメラ付き携帯に機種変更した時も、データ移行とか操作性の利便性を考えて、同じカシオ製の携帯にしておいたんだよ。
司令部時代に使っていG's_正面たやつ(四代目)は、まだある。
G's_裏面
 
 
 
 
 
 
 
 
 


左が正面、右が裏面。
ちなみにオレンジ色のものは、機種変更した時に貰ったauマークの入った携帯置きクッションである。
 
やっぱ格好いいや。
これ、アナログ時代の携帯電話より大きいかったのよ。
G's_正面ベゼル
 
 
 
 
 
 
 
 
 


初代から受け継がれてきた液晶部分の丸形ベゼル。
いま見ると小さい液晶なんだよね。
使いにくいとこもあったけど、これ以上のヘビーデューティーなやつはなかったからなぁ。
色も256色しかなくてね。
おもいっきり時計のG-SHOCKしてるでしょ、デザインが。
雨にも風にも負けず、水にも負けなかったよ、こいつは。
G's_ロゴ
G's_裏ロゴ
 
 
 
 
 
 
 
 
 


ちょっとピンボケ気味だけど、左は丸形ベゼル上部に刻印されている「G'z One」のロゴ。
 
右は、裏面の「cdmaOne」のロゴと「by CASIO」の刻印。
 
こいつが、この夏、こんな風に生まれ変わって戻ってくる!
 
 
進化してるけど、あのG'z Oneである。
7月下旬発売だそうだ。
ポイント、何ポイント残ってるかなぁ・・・
 
ああ、買いたい!


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